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◯【73点】家族を想うとき【解説 考察 :We Missed Youのもの悲しさ】◯

家族を想う時

製作

2019年イギリスフランスベルギー映画

近い将来増える
個人事業主の末路。

監督

ケン・ローチ
・わたしは、ダニエル・ブレイク
・麦の穂をゆらす風
・天使の分け前
・SWEET SIXTEEN

あらすじ

イギリスの北東部の都市ニューカッスル・アポン・タイン
この地で工務店を営んでいたリッキー・ターナーは2008年の金融危機で借金を負い仕事を失った。
リッキーは訪問介護士として働く妻のアビーと息子の高校生のセバスチャンと娘の小学生のライザとの4人暮らしだ。
高学歴でも資格も持っていないリッキーは不況により仕事がなかった。
彼は、配送業者にて面接を受けるが、そこでも社員としては雇えないことを告げられる。
しかしそんなリッキーに面接官は下請け業者として個人事業主であれば、仕事を斡旋してくれるというのである。
やることは社員と一緒で、物の配送で日当が出る支払われるシステムだ。
収入源のないリッキーはその仕事を行おうと考えるが、その仕事では配送車も自身の所有者を使わないといけないというルールがあった。
リッキーはアビーの車を売り、配送車を購入する。
訪問介護の移動につかっていた車を失ったアビーはバスにて客先に訪問することになった。
家庭では常に両親がいない状態がつづき、ライザの精神状態は不安定になる。
またセバスチャンは非行に走り、壁に落書きを行うグラフティに傾倒していく。

しかしリッキーは従事中あることに気づく、
この仕事は分刻みのスケジュールで物を配送しなければ、物を配りきることができないことだ。
常に全力ダッシュで、駐車禁止とも戦うが、ノルマが終わるのは夜の20時を過ぎており残業代も出ない。
家族との時間もなく、休日も仕事がある状態がつづく、
また雇い主で同僚が、家族の諸事情で休みを取った際に、彼にペナルティーを与えたため、
彼は仕事を辞める。
高額の配送ルートに空きが出たため、リッキーはそのルートを担当してさらに稼ぎを良くしようと考えるが、
そのルートはとてもとても過酷だった。

そんな矢先、セバスチャンが窃盗を行い学校で問題を起こしてしまうが、リッキーは仕事を抜けることができず、
そしてリッキーはセバスチャンに指導として携帯を取り上げることを行ったことがきっかけで2人は大喧嘩し、
セバスチャンは家出をしてしまうのだった。

そして事態はさらに悪化していく。

2020年1月1日劇場鑑賞 2020年1本目



ネット通販の裏で働く配送業者の地獄

2020年の元旦から映画鑑賞を行ったわけですが、
今年の1本目は本作『家族を想うとき』。
批評家からも観客からもまぁまぁ好評を得ている本作。
ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』はかなりインパクトがあったので、
映画好きとしてみたいなと思い映画の日のサービスデーを利用して鑑賞。

流石に元旦から都市部に出てくる人は少なかったが、
映画館はまぁまぁ混んでました。

所感としては前作の『わたしは、ダニエル・ブレイク』同様、
イギリスの労働者階級の苦しみを描いた作品として胃が痛くなるとびっきりの作品でした。

言うなれば鬱映画

なのです。

現代のインターネット普及によって、
買い物に行く時間を削減し、
通販にて買い物をする社会となったことで、
どうしても必要になる宅配業者さん。

そしてその通販サイトもどこも品揃えが似たり寄ったりになった結果、
起きてしまう価格競争。
1円でも安くするためのコスト削減として、
配送料の削減。
普通に送るよりも安くするには、
保険などの社会保障を保証するのではなく、
請負業者を雇うことで、配送のコストを削減した結果、
仕事ばっか増えて、仕事を終えられない配送業者の誕生。
また元締めは、多くの人を雇うことをしたくないから、
1人あたりにとても厳しいノルマを課して、
社員じゃないから辛いなら辞めればという姿勢。

もはや人としての営みをさせない社会、
こんなんじゃ当然お金も回るわけないよなぁとまじまじと想うが、
それでも自分自身でもどこよりも安く欲しい物を買いたい心理があるから、
配送料の安いAmazonとか利用しちゃうんだよな。

そうして金額と仕事量があわなくてクロネコヤマトが業務崩壊したのは、
みんなもご存知だと想う。
その結果

Amazonが劣悪な桃太郎便と業務提携したが、
その人たちの対応が無茶苦茶酷かったけど、
それってつまりこの映画の再序盤が
ニアリーイコールなんだろうなって感じました。

あの人たちも仕事にあぶれて、個人事業主として桃太郎便と契約した結果、
地獄の宅配業者に成り果ててしまったのだと想うと同情がせざるおえない。
特に60代を超えた人とかフリーターぽい人多いしな。

もはやイギリスだけにとどまらない日本も当てはまる作品

ケン・ローチ監督の人類への危惧というものを感じてしまう。

抜け出せない、逃げられない格差

もはや何が悪いかといえば、
完成されてしまった社会構造が悪いというか、
お金のない家に生まれた人は
ずっと苦労をしないと生きてはいけないという強者がずっと強者の構造。
お金がなければ教育も受けられない、資格もとれない。
お金がないから親が両方とも働き続ければ、子供にとっては愛も受けられず、
精神不安定になってしまい、
不安な気持ちが学業外のところで爆発してしまうなんてちらほら。
結局お金があれば、高額の学費を払って手厚い勉強ができる学校に通ったり、
塾にて塾講師に勉学を指導されることができる。
勉強が効率的にできる環境を親が構築できるか否かで、
その後の人生に差がついてしまう。
勉強ができてもさらに高等な教育を受けさせるための学費を工面することができず、
結局厳しい労働環境に従事せざる負えなくなって、
その中で体を壊すなり、ストレスにて破壊衝動に駆られてしまい、
犯罪者になって、さらに仕事に就けなくなったりと、

もはや生まれた境遇によって人生の天井が決まってしまった階級社会が
顕著になってきたと最近実感してきた。

思えば2019年はそういった階級の差が
あからさまな格差社会に警報を打った映画が非常に印象的だった。
『ジョーカー』『アス』そしてアカデミー賞を受賞した『パラサイト』もまた同様だ。

ネタバレ:Sorry We Missed You

本作では厳しい労働環境により家庭崩壊を起こしてしまう家族を描いた作品。
家族のために働くリッキーは、家族を蔑ろにしてまでも働くが、
そんな父にお金以上の存在を求めていた息子と娘。
そして母親も同様に子供たちを育てるために頑張って働くが、
働けど、働ど、事態は悪くなっていく。

子供達の不満の爆発により、
リッキーは仕事を抜ける必要が出てくる、
抜けた仕事の穴は罰金扱い、
さらに過度な演出だが、リッキーはそのまま強盗にあってしまい、
元締めの厳しい規約により、盗まれた品物の費用を請求、
さらには日当の仕事なので、働かなければ収入が0。
怪我のために医者に行けばイギリスの医療制度に問題があるのか待ち時間は3時間越え。
その最中、おかしなエクセルの関数の如くどんどん増えていくノルマとペナルティ。
体中怪我だらけのまま家族の制止を振り切り仕事に行く、リッキー。
その末路はきっと。。。。。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』同様の辛辣な展開の連続と酷すぎるラスト。
胸糞の悪さは尋常じゃない。
一歩間違えれば、いつ壊れてもおかしくない労働者階級の構造を最悪のシナリオにて描いた本作。

どうすんの社会?どうすんの政治家?
でも多分何もしない。自分たちの地位や環境、暮らしを守るのが人間でしょ。
そうなってくると『アス』で取り上げられていた一説が、真に迫る。
エレミヤ記 第11章 11説
力のある人たちが見過ごしたことにいつか必ずしっぺ返しがくる。

まぁ自分も下流階級で学もない人間なので、
どっちかといえばリッキーになりそこなってる人です。
19歳までに自分のパソコンもなかったからインターネットの使い方もその時までよくわかってなかった、
ゲーム攻略サイトとかをどうにかこうにか携帯で見たり、他者のPCなどで見るのが限界だった。
もっと見聞を広めて、自分にふさわしい人生を模索していたら、
こんなぼっち映画批評家崩れのブログなんて運営せずに、
もっとオシャンティな肩書きを持って、高尚な文章で、
映画を論評してツィッターのフォロワーが数千人いて、
1万リツィートを3回ぐらい経験していた人になっていたかもしれない。
いやもう31年ぐらい生きているのでそういうことにはならないとは自覚してはいます。
すみませんでした。

そんなことよりクソ邦題

こんな映画の内容とかけ離れた物になるとは思わなかった。
ただこれライザ視点だったら『家族を想うとき』って当てはまるなぁと感想を書いた時点で思った。
しかし『お父さん不在票』とかにできなかったものか、

映画の後半にて原題の意味が、小洒落た不在票として出てくることにびっくりするわけ

その不在票と将来的に父親が過労死して不在になってしまうこと、
そして父親も母親も生きるために働くことで家庭内に不在になっていることのトリプルミーニングとして、
秀逸なタイトルだなぁとまじまじ想う。
家族の映画だから家族って入れよって安直過ぎだろ!

まぁそうまでしないと観客がどんな映画かわからないっていう悲しい現実もあるだろうけど、
お父さん全然家族想う余裕なかったからね。

「ごめんね。あなたに会えなかった。」という原題のものかなしさとユーモアを蔑ろにするなよ。
せめて邦題原題を想ってくれなかったの?「製作者を想うとき」が配給はちょっと必要。

実は実話

実は本作にはモデルの人がいる。
まぁ自分が調べたことではなくて、Wikipedia見たりしながら情報収集してたら
町山智之さんのラジオ番組たまむすびでの紹介の一コマで出てきたことです。

町山智浩 ケン・ローチ監督作品『家族を想うとき』を語る

2018年にDPDで働いていた人が
糖尿病の治療を厳しいノルマを達成するために通院を行うことができなかったことで、
薬を使うことができず運転中に意識がなくなり交通事故で死亡。

恐ろしいなぁって本当に思う。

hisSCORE

・脚本のユニークさ濃さとテーマなど 7.5/10
・映像のアプローチ 7/10
・映画の美術面 7/10
・キャラクターの魅力 6.8/10
・音楽 6/10
・上映時間と個人的趣味 8/10

73点

最悪のシナリオが連なってしまった露骨な物語ではあると考えられるが、
映画としての切り口は社会派として秀逸。
ドキュメンタリー映画とかテレビ番組でありそうといえば、ありそうだけども、
ドラマ映画として、堪能できる恐怖感がちゃんとあるのがやっぱりすごいなぁと感じられる。
これがケン・ローチ監督の凄さなんだろうなぁと思いました。

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この映画のお母さんが、施設で事切れたように振る舞うシーンの極端さがすっごく生々しくて怖くてインパクト強かった。
たらい回しの上流社会文化や蝕まれていく労働階級者の虚無感と優しい視点で描かれる作風の調和が凄まじい。

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