「メディアVS創作物」
1966年イギリス制作
監督
フランソワ・トリュフォー
(大人は判ってくれない)
予告編
あらすじ
未来のイギリスが舞台の物語。
政府は、文章を禁止し、本というものを禁止した。
政府は、著作物を持っていたものや、それを破壊する為に、ファイヤーマンを政府直轄として雇用し、違法所持していた本などを即時に燃やしたりしていた。
だがファイヤーマンのエリートでもあったモンターグはある日、何故本を燃やし葬らなければ行けないのか、疑問を抱くようになってしまった。
仕事帰りの電車の中で、彼は妻と瓜二つの女性クラリスに出会う。しかも彼女は近隣に住んでいて、妻と瓜二つでありながら、妻とは真逆の人間性を備えた彼女に心惹かれてしまう。そして道中で本に付いて議論をした二人。またクラリスは本を家に隠し持っていたのだった。
帰宅したモンターグを待っていたのは、妻のリンダだ。彼女は、ひたすら流れ続ける政府によって情報統制されたテレビ番組を視聴し、TVの視聴通りに薬を利用し、TVの言う事を聞き空虚な人間として生きていた。
そして仕事で、大量の本がある家に押し寄せたモンターグたちだったが、そこで待っていたのは、家主の本とともに死ぬという衝撃の覚悟だった。
何故そこまで本に固執するのか、モンターグはついに本を読んでしまい、大事なことに気づくのだった。しかしそれは反社会的行動の象徴であったのだった…。
2011年12月1日鑑賞
感想
ちぐはぐした製作背景。
ヌーヴェルヴァーグを代表する有名な映画監督フランソワ・トリフォーの映画を自分は初めて見ました。なんか恥ずかしい気持ちです。
本作は、フランス出身のトリフォーには辛い製作背景があったらしく、英語が出来ないトリフォーが英語圏のイギリスで映画を撮り、挙げ句にSFという宇宙だとかロボットだとかが嫌いなトリフォーなのに、何故かSF映画を監督するというかなりちぐはぐした製作背景のある映画。
そして原作小説『華氏451度』の映画化作品だ。それについてはそこまで食指が向かなかったので割愛します。
文章を書くことを禁止された世界。
この映画の面白い所は、映画が始まるとナレーションが流れる。中身はこの映画は誰が監督で誰が出てるか。何故そのような音声解説が始まったかと思ったら、本作の世界には文章は存在しないのだ。
普通だったら映画のオープニングで出ることを全て音声で告げる。そういった徹底したこだわりがあるようだ。
正直かなり驚いた演出だし、字幕を読んでいる英語圏外の人は、そもそも字幕を読んでいるので、なんだか意味不明な演出だと思うのは当然だろ。
なので本作を視聴する際は必ず吹き替え版で見なくてはならない。
そうでなくては、本当の意味で本作を視聴したことにならない。
荒唐無稽なSFな世界。
というわけで、本が禁止された世界に本を焼く人間だった主人公が、一人の女性に出会ったことにより(妻と瓜二つ)、本に対しての考え方が変わり、本を愛してしまうわけなのだが。
やはり荒唐無稽とも思える世界観に目が行ってしまう映画であると自分は思う。
そもそもその世界観を追うだけでもなかなか難解な映画であって、その他の部分は二の次だろう。
ただ困った事に近未来の映画であるにも関わらず監督のトリフォーは大のSF感嫌いという謎のコラボになってしまった。もうその時点で色々あれだと思うのだが。
一応監督は、本が大好きだったらしく、燃やされてしまう本の種類にその熱意が顕著に出ているらしいのだが、流石に自分もそこで盛り上がる程の本好きでも無く。
また監督は、本作をそういうドラマ面を大事にした作品にしたようだ。
なんだろ、それで良いのかこの映画?
まぁ1番の疑問は、妻と瓜二つの女性がヒロインとして登場するという謎設定。
つかまぁー設定を頭に入れるだけで結構あれだし、そういう意味では日本のテレビ局の映画に近い、単純な原作の映画化とも思えるが…。
意外と類似しているとこもあったりで、本作は異常にマスターショットつまり全体を完全に収めたショットが少なく、異様に長回しを多用し、手持ちで一連を映し、それをインサートやクローズアップを少し入れたりしてカットを割っている。なんだろうか、相当過酷な撮影スケジュールだったのだろうか?
一応映像技術は高いとは思うのだが、日本映画に似た感じではある。
でも確かに不手際は製作にあったとは思う。
ただ色々と作り込まれている部分はあったと思う。
テレビ番組の異様なシナリオの無さだったり。
新聞が文章の無い漫画だったり。
文章というかドラマというものが完全に禁止された世界になっていて、人間の感情自体を唾棄している謎だらけの衝撃的な世界。(まぁー原作の映画化程度だと思いますが。)
それでも外観とか細部までの未来観は妙に薄かったり、なんだかよくわからない世界観だったり。
それでも原作にあるからか、高らかに本が何故悪なのかを語るシーンがあるわけで、それがやっぱり印象的で、秘密図書館で主人公の上官が焼く前に本の種類によって、これがどういうものかを演説するわけですが、それが聞くからに本を読んだことが無い人間の意見なんですよ。「こんなもの(小説)を読んでも不幸になるだけだ。別の生き方を求めてもそんなものは無い。」
体験の無い、誰かの言葉のような、実際のそれとは全く違う1概念だけで話すという何とも面白いシーンです。それに反感が持てただけ自分は幸せだなぁーと思いました。
そこから導き出された答えが「本を読んで感性が豊かになると統制が取れなくなる。」というのが自分の意見でして、何ともやばい世界の物語だと思うわけです。(しかも直後に本ごと火に焼かれる婦人もいます。)
そういえば、こういう統制された世界の物語で自分の大好きな映画があったのを思い出しまして、『リベリオン反逆者』っていう映画でして、今では演技派として有名な『バットマン』ことクリスチャン・ベールの無名時代の作品で、同じく政府によって薬漬けにされた世界で、芸術などの感性を持たされるような世界を全て禁止された世界の物語なのですが、取り締まりとして『ガン=カタ』という謎の拳法を駆使し、敵の攻撃を計算しながら銃を撃つ、銃を組み込んだ拳法が凄まじく面白く、妙な世界観とクリスチャン・ベールのアクションぶりもぴたりとはまりカルト的支持を受けている映画です。
自分はそれが好きなので、ちょっとこっちは物足りなかったかな。ドラマ面も弱いし。
話を戻すと、主人公はついに読書に目覚め高らかに「本の背後には人間がいる僕はそれが良いんだ。」というようにこの世界には人間はいないも同然だったり。ある意味マトリックス的。(笑)
挙げ句に妻に「物語の素晴らしさ」を説くのですが、逆に妻の不信をかってしまい、破滅的な方向に進んで行くわけです。
しかもそこで、妻の友人がモンターグの演説に感情を高ぶらせてしまい涙を流してしまうのですが、そこで感動があるという素晴らしい状況があったにも関わらず彼女は「これだから本は最低なのよ。」とこの社会に生きる人間は人間としてエモーショナルであることを自ら唾棄していたという更に驚愕の事実があるわけです。
なかなか付いて行けない世界ですよ。(面白いかもしれないが多分原作のおかげ。)
また更に凄い事に学校では数学のみしか指導していなかったりとすげぇー世界だぜ。
他にも実は戦争中だったりとね。(誰と戦っているかは不明だし、その国も感情が危険なものと捉えているかも不明。)
そして追われる身となった主人公は、上司を焼き殺し約束の地へと旅立つ。
しかし道中を未来感丸出しの低レベルな画像のハイスペック兵士が…。
ブックマンの森。
主人公は終盤についに聖地に付くわけです。
そこで、政府がTVを私的で利用して全てをコントロールしている実態を知るわけですが、別にどうということなく、驚愕のブックマンの紹介に移ります。
ここが多分本作のハイライト。
今まで感情の無い無個性な人間たちが山ほどいたにも関わらずここには、個性的な人間がいっぱい。
また彼らの愛する本と個性がほとんど同格となっており、そういう楽しさが溢れたシーンだ。
そして主人公もまたブックマンになるべく努力をし。
ラストシーンでは、全てのブックマンたちによる本の諳誦をしている彼らが冬の並木道を通り過ぎるという何とも幻想的なラストが見る側を待っている。
と結構なんとも言えない映画で、かなり複雑な原作を映画化しているわけですが、劣化の激しい映画だったと断言出来ると思います。
確かに展開的に面白いシーンもちらほらありますが、全体を通すとかなりちぐはぐで、相対的には、微妙な映画だったと自分は思います。
得点
6点
古典的洋書ファンは必見の映画。あと本好きもね。TVを否定しメディアを否定し、放送業界全てを悪と見なし、創作物である読書の可能性を追求しようとしたドラマの素晴らしさを語った不思議な映画。
あんまり出来は良くないと思うが…。
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