「良い意味で絵本的な低レベルな日本で一番優れたアニメスタジオの最新作。」
2010年日本制作
予告
STORY
重い心臓病を患っている翔は、健康の為に、自然の多い田舎のおばあちゃんの家に引っ越してきた。
だが、その家の床下には、小人たちが住んでいたのだった。
三人家族の娘のアリエッティは、父と初めて「借り」に行くことになった。
彼らは、人間のものを少しだけ盗み、それを使い生活をしていて、それを借りと呼ぶのだった。
初めての借りに、心躍るアリエッティは、父の教えを聞きながらたくましく、人間の世界を散策するのだが、今日越してきた少年に簡単に見つかってしまい借りは失敗する。
翔は小人の存在に驚きもせず、逆に彼らの為に何かをしようとするが…。
2010年7月29日鑑賞
感想
踊る大捜査線3と並ぶ、今年の夏の2大作品の借りぐらしのアリエッティを見ました。
実際企画見るからに、これ絶対微妙じゃね?と思ってましたが、ここまで面白くないとは正直思いませんでした。
実際ジブリは、どちらかと言えば、好きな方だと自分では思います。特に今から昔のジブリは、毎日見てたような気もします。ただ、ジブリ作品の前作の「崖の上のポニョ」を見てから、なんか衰退というか、古き良きジブリの終焉の様なものをうすうす感じていて、今作は見事にそれが顕著に出ている気がするような。
この映画自体が、何を狙って作られたが、実際よくわからないんですよな。
バックにいるテレビ局が作ってくれと依頼したのか?はたまたジブリ自身がお金を稼ぐために商売の為に、突貫工事で生み出した、それなりにお金を稼げる手頃な商品として本作を作り上げたのか?全く理解できないし、実際言及自体もされないんではないかと思います。
とりあえず思うのが、とても質の低い、安っぽい退屈な映画だったですね。
上映時間も90分と短いですが、面白みが全く無いので、逆にもっと酷い踊る大捜査線3の方が、何倍も楽しめました。(狙いか?)
とりあえず原作がある映画なのですが、そもそも原作自体映画向きなのか議題にあげるべき微妙な内容な気もするが、そこをスタッフが改悪して、より酷いものになったのではないかと自分は思う。
個人的に自分がこの映画に問題だと思ったのが、映画全体の統一感の無さ。
舞台は多分、山形か東京。つまり日本の都市部から少し離れた閑静な豪邸。でどこか現代的で、また日本的な家屋、逆に小人達の舞台となる床下は、何故か妙にヨーロッパ的で、まるでジブリの過去作品の世界観のイメージで構成されたような感じ。小人たちの名前も妙にヨーロピアンで逆に壁一枚さの人間達は、どこまでも日本の純和風。
全体的そのイメージ感のちぐはぐさが妙な違和感を感じさせる。ちょっと飛躍させて見るとそのイメージの対立って実際、モンタージュ理論になってるんじゃないかとさえ思う。
全く違う画像を2個使うことにより、違う意味を持たすというテクニックなのだが、(例えば、セクシーなお姉さんと真顔の男の写真を交互に見せると、男がエロいこと考えてるように思える)それが、知らず知らずに、意味不明な対立が起きてしまい、不可解なイメージを映画自体に生み出していると自分は思える。
そして本作は一体何がしたいのか不明かくな映画だと思う。
一応異種生物の交流を描いてはいるが、それは前作のポニョでも描いていて、逆にあっちの方が単純でわかり易かったにたいして本作は、キャラの行動ばかりを描いてるせいか、映画の目的が理解できないものになってると思う。
そもそもアリエッティというキャラのサイズが実際どういうものなのかも不明瞭だったと自分は思えた。
本作はアリエッティに対しての俯瞰のショットが固定で無かったと思う。
主にアリエッティの全身とバストまたは顔のみを主体にして、また人間といるさいもどこか人間のパーツと寄り添うような対比のような感じだったり、家というものが巨大であるのは伝わるが、如何せんそれがアリエッティーの目線であったりと、冒険観は描けてるが、巨大なものと小人の対比がそこまで上手く出来ていたと思えない。
そのアプローチが上手く出来ず、逆に人間的な描きを多用したせいで、いまいち小人の冒険物語という概念が映画的に念頭に置かれづらくなってると自分は思える。
逆に良い例ではトイ・ストーリーなどは、そういうったアプローチが実に上手く出来てると思えるし、だからこそ違和感なく見れる気がする。
大事な部分をミスったというか、監督が「映画」の全体的な知識を知らないからこうなったと、言えるかもしれない。
物語に関して言えることは、結構酷い内容だと思う。
普通に面白くない。良い意味だ単純で、映画に対して低脳な人間だったらそこまで気にならないかもしれないが、映画をよく見る人や、過去のジブリをよく見た人はここまでペラペラな物語構成だとがっかりでは?
実際背景等はよく出来てると思うが、キャラがすっごい微妙アリエッティのお父さんの顔の無表情感はやばいでしょ。お母さんとお父さんわしっぱななのに何故アリエッティは鷲っぱなじゃないの?(笑)
昨年のサマーウォーズの様な、リアル思考の虚構アニメが高評されたのに、ここまで中途半端なリアル思考は逆に、がっかりさせる要因になる気がした。
特にアリエッティの母は、演技面でも酷い。アニメらしさが大部害される程、声役の人が全面に出てしまってる。世界観の崩壊に繋がるのでは?と思えた。
まぁ一番の本作の疑問点は、家政婦さんの暴走にあたる。
本作は一応終盤にあたり、やはり主人公が危機に陥るというお決まりの展開になるのだが、その悪役が家政婦さんになるが、彼女が何故そういったことをするのかが、全く描かれていない。
そこに画一的な悪とも善とも言えない、アプローチが無いため、確実に見てる側を困惑させる。
と色々と破綻している本作ではあるが、実際そこまで酷評はされていないっぽい。
まぁーヤフーレビュー等では大部荒れてるが。
まぁ最後に個人的な突っ込みどころを羅列したいです。
まず、アリエッティの冒頭の借りですが、やっぱり見物でした。なかなかギミックが凝っていて面白かったです。
でもあれもう少し手作り感とかあっても良かったと思う。
最初から釘で道が出来てたり、貨車があったりと。
「借り」が過酷であるということをそこでは見えて来なくて、そこをもっと山登るように「手探り感」があったらもっと面白かったと思う。まぁーその要素に対立してベテランの借り屋さんの父がいますがね。彼の身のこなしで顔の無表情も納得出来ますが、逆に物語の発端の少年に存在が見つかる展開は、強引過ぎでは?だってベテランの父がいるのに、あんなにあっさりはおかし過ぎでは?
そしたら父のベテランさが矛盾に繋がるのでは?
そんでアリエッティと翔の初交流になるけど、あのカラスがとりあえずあり得ない。
アリエッティのサイズがすげーわかりづらい。ところどころおっきくなったり小さくなったりしてるように見える。
翔のセリフが意味不明。どうでも良い。むしろセリフに象徴的なことや説明を入れるのは止めた方がいい。なんか深い意味合いがあるらしいが、逆に安っぽい映画なので、議題にならない。そういう論争を意図させるならインセプション程の難解さや全体的に細かな着想があることを掲示して欲しい。
音のバランスが変?映画自体の視点がバラバラな本作。小人目線をだらだらやったらいきなり人間目線を集中しだしたりと、逆に視点の交錯はそんな垣間見られないというか…。
んで母親が捕まって叫ぶのだけど、実際聞こえないだろアリエッティ。お前小人だし。
つか翔の声もっとドスが効いてないとおかしくね?
トイストーリーはそこきにしてたよ。
家に入るといきなり現代的な日本風で、外に出るといきなり幻想的で床下は平成狸合戦使用でアリエッティの住んでるところはヨーロッパとかもう映画自体がごちゃごちゃ。ちょっと外出ると、そこは日本の町並み。うん。なんじゃこりゃ。
で、何故、洗濯バサミをあげた。つかあの洗濯バサミのサイズって何用?あれどうやって借りたの?手作り?
やかんで旅はわかるけど、だからアリエッティってどんなサイズなの?蟻との対比も…。
音楽は冒頭とかはかなりよくて心地が良かった。でもちょっと慣れだしたら、なんかうっとおしくて、もうちょっと音楽押し的な感じは抑えるべきだったと思う。
で少年の手術はどうなったの?
やっぱりあれも映画でゆうそこまで重要じゃない要素?
てか本作のテーマって小人と人間の交流でしょ?じゃあやっぱりあそこで終わるのおかしくね?
いや本作もあれ?映画が終わるから物語が終わりに向かう的な映画?それおかしくね?
んで一番の疑問は「かりぐらしのアリエッティ」ってタイトルなのに映画が「借りぐらし」全然描いてなくね?
うへーい。
得点
3点
いえーいマジ邦画って終わってるよね。見終わって何も残らないし、笑えないし、泣けないし、退屈だし、変に突っ込みどころおおいし、それなのに劇場混んでるし。とりあえず一緒に見た人も相当、クソって言ってました。つかこんなこと書いたらまたジブリ信者にコメント書かれるかな?(汗)
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