Multiplex広告:記事は下部から

△ツリー・オブ・ライフ 2011年度65本目△

「日本人が楽しめるとは思えない。」

$A Little his REDEMPTION.~season Ⅵ~-ツリー・オブ・ライフ

アメリカ2011年アメリカ制作アメリカ
監督
テレンス・マリック
(シン・レッド・ライン)
出演
ブラッド・ピット
(ファイトクラブ、イングロリアス・バスターズ、ジェシー・ジェームズの暗殺、トゥルー・ロマンス、Mr.&Mrs.スミス)
ショーン・ペン
(ミルク、ミスティック・リバー、アイアム・サム、シン・レッド・ライン)

霧あらすじ霧
オブライエン(ブラッド・ピット)夫婦は、その知らせを酷く悲しんだ。最愛の19歳の息子が死んだのだ。
そして現代中年になったジャック(ショーン・ペン)は今でも弟の死を苦しんでおり、父親と毎日そのことを話していた。
ある日、会社に出所したジャックは、会社に植えてある木を見た時ジャックは、宇宙の誕生と過去の記憶が思い浮かんだのだった。
物語は、地球の誕生へと移る。
時代は進み、一匹の恐竜がいた。それは弱り果てていて、付近には彼を捕食したい恐竜がいたのだが、仕留める直前で彼は、それを辞めるのだった。
そして恐竜の時代は終わった。
1950年代のアメリカテキサス。若いカップルがいた。
若いオブライエン夫妻だ。二人はとても仲が良く、この街に家を買った。
そして子供を授かり、二人の男の子を授かった。
だがオブライエンは仕事が上手く行かず、次第に家庭は荒れてきてしまい、長男であり大人の事情を知らない少年のジャックは父親が嫌いだった。
オブライエンは父として息子に威厳を保ちたかったのだが…。
ジャックは段々と思春期が訪れ始め…。
2011年8月30日鑑賞
霧感想霧
2011年カンヌ国際映画祭で最優秀賞であるパルムドールを受賞したのが、本作「ツリー・オブ・ライフ」だ。
ちなみに前年のパルムドールはアジアのタイに作品「ブンミおじさんの森」である。
その前年が「白いリボン」でありその他には「4ヶ月、3週と2日」「華氏911」「エレファント」「戦場のピアニスト」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などがあり、統括したとしてもどれもが個性が強く、一概に傾向というものがない。
それはカンヌ国際映画祭が、毎年審査員の顔ぶれを変更しているからであり、昨年の審査員長がティム・バートンであることが「ブンミおじさんの森」が最高賞を受賞した大きな要因であることは確かである。
一応2011年の審査員長は、ロバート・デ・ニーロとなっている。
全体には世界三大映画祭という程の著名な映画祭になっており、それ以外にも映画制作者のマーケットが並行して行われているため、商業的にも関わっていることは確かだ。
その為、本作が全米公開直前での賞を受賞となり、前年よりもぶっ飛んだ映画に賞が与えられなかった。
また、審査員長と作品の国が一緒だったり、上映後の評価が賛否両論だったりとしたことがあり、映画祭自体が作品の広告に使われた。という発言もある。
だが、アメリカ本国では、映画の国でもあるので、騙される人も少なく、逆に内容が難解過ぎて、腹を立てて返金を求める人が続出したため、映画館に「つまらなくても返金しません。」というポスターが貼られた程だ。
さて本国の興行を見れば、正直言ってそれらの広告展開は大成功し、また配給側も映画の内容を少し曲解させた予告編を製作し、あたかも家族の確執の物語を豪華俳優が演じる映画として広告展開した為、思いの他、ヒットしていると思うが、公開当初は、困惑して劇場から出てくる人や、途中で退席する人がちらほら。
私的体験だが、映画館に行く際、チャラいカップルがエレベーターを同席したのだが、この人たち本当に大丈夫か?と心配した。(笑)
というのが本作の興行的側面。
んで、内容については、記述通り、ぶつ切りのプロットだと全く以て理解不能の映画になっており、本作を見た人の多くが、予告編とは違うではないかだとか?意味がわからんだとか。眠くなったとか。途中で帰っただとかしたと思う。また別の人は、非常に楽しめた。素晴らしいアート映画だ。とかあったと思う。
そうです。本作は、海外の評論サイトや評論家には、満点の評価を頂いている程の歴史的作品です。
先にまず、筆者視点の内容の解説でもしてみようかと思う。筆者視点というのには注意して欲しい、この映画は見解も数多くあると思う。なんせほとんど説明のない映画だからだ。
だが冒頭にはヨブ記の引用がある。これは映画「シリアスマン」を見ていただければ、だいたいの内容はわかるが、シリアスマンの内容を簡単に言うと神様が人間の信仰心を試す作品で、純粋な人間、真面目な人間に神様がひたすら試練を与え続け、どこまで真面目でいられるか、誠実でいられるかを試すものというわけで、ヨブ記では最後は神様がヨブの信仰心を認めて、ヨブは億万長者になるが、シリアスマンの主人公は負けてしまい、結果的に嵐が来てしまうという話になっている。ネタバレごめん。
だが、その見解も微妙に違う可能性もある。まず引用したのがヨブ記の全体でなく、一部の抜粋で、そこには地球だとか自然の部分の記載の引用だったと思われる。
そして本作は登場人物の紹介とある事件の話を紹介し、そのまま主人公である長男の大人になった未来の話になり、これが3幕目になり4幕目で、木を見た主人公が壮大なインスピレーションを感じ、地球の創世の物語に向かう。
ここでの見解は、キリスト教では神様が人間を作ったにも関わらず、本作は進化論に従っており、微生物視点から物語が始まり、恐竜が誕生するまでが描かれる。
生物の授業が始まったわけだ。
だがそこでも監督は挑戦的に、一匹に恐竜に視点を合わせた。
その弱肉強食しかない世界で、一匹の恐竜である捕食者は、視点である恐竜を食べることせずに、その場から去って行く。ここにあるのは、多分ある種の宗教的観念だと思うが、自分は理解する事が出来ず、そのまま隕石が地球に落ちるのを見守り生物の授業に興奮した。
ここで、個人的な監督の紹介をして見ようと思う。
このテレンス・マリックの映画は筆者は「シン・レッド・ライン」しか見た事がない。あるだけましだし、イケテルだろオレ!!(苦笑)
本作の覚えている内容については、太平洋戦争で自然地帯のガダルカナル島にある境界線を守る的な話で、その線を赤い濃い線。と表現してのタイトルだったはず。そんで原作小説あるし戦争映画であるので、本作のようにぶっ飛んだ感じでは無いが、その傾向は顕著に出ていた。
戦争映画であるにもかかわらず、野生動物を撮りまくって作ったインサートショットを多用したり大自然を本編に関係なく差し込んだりする。
その雄大さが特に素晴らしく、また戦争自体も美しく撮っている。
その傾向からして、本作の映像の雄大さは素晴らしい。
よく考えるとキリスト教と交わることが無い考え方を交わらせているかなり攻めた作品であり、宗教とは何か?をさばいて開きにしたとも言えるだろう。
なので、筆者的には、この生物の授業がこれ以降にあるだろう、ヨブ記実践パートである「アメリカのある家族の風景」にインサートされると目論んでいた。
というわけで6幕目が始まる。
ここでついに予告編を見た多くの人が期待していた。ブラッド・ピットとショーン・ペンの子と父親の関係を描いたシーンだ。
だがテレンス・マリックは映画監督としてどこまでも攻めた。
この家族を残念ながら第三者視点である「神の視点」で描いたのだ。
どういうこと?と思っただろう。その神の視点とは簡単に言えば「俯瞰」というわけだが、もっとわかりやすく言えば、登場人物を中心に撮影するのではなく、その間の何かをひたすら追いかけたのだ。
つまり家族の出来事自体は追いかけているが、誰一人として焦点を合わせず、出来事だけを追いかけている。
つまりヨブ記でいう所の神様がヨブに試練を与え、それを見守ること。
という暗喩では無いかと筆者は思っている。
ある視点から言えば、父親というものは、神様であり母親というのはそれを受け入れる、地球のような存在であり、そこからも息子と父の関係がどうとうかこうとかあったり、本作で母親に息子が片寄っていたりなどなど、色々と見解も出来る。
だがとりあえず筆者は本作を追いかけよう。
その試練を受けるのは、6幕の前半の主人公とも言える、ブラット・ピットとなるわけだ。ちなみに映画の舞台は50年代のアメリカとなっている。ここでもある映画の内容と被っているので紹介。
「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」、とりあえずまたもこの映画の紹介でもしようか、本作は50年代のアメリカが舞台のお話で、当時アメリカは戦争が終わり景気も上向きになり黄金期という時代で、野望を持った多くの若者が社会で成功を掴んでいた。
その郊外であるレボリューショナリ・ロードでは多くの若い家族が住んでいたというわけだが、この家族は夢に溺れ埋められない何かのせいで破滅してしまう。
とりあえず夢見るカップルがそのような場所に住んでいるというのを分かってほしく、その一部の夫婦がブラット・ピット演じるオブライエンということだ。
というわけで子供を授かり頑張るというわけだが、オブライエンは物事がなかなか上手くいかない。
だが父親として、人間としての正しさを自分の中で保が、上手くいかないことにいらだちを感じている。その間で揺れているのだ。
これは信仰心というものに繋がっているとは思えないか?
というのが監督の言い分だと思われる。
だが結果的にオブライエンは子供達に辛くあたってしまうのだった。
つまる所の試練に負けたオブライエン。
そしてその試練は息子である長男に移る。
というのが筆者の見解。
そこからは焦点が完全に息子に絞られる。
一気に物語りも緩やかになり完全に映画に主人公を添えている。
むしろそれが映画的につまらないと思えたりもする。
その主人公の年齢も14才程と思われ、上記の通り、父親との確執もあり、酷く悩んでいる。
また14歳という設定から「スタンド・バイ・ミー」のような青春映画要素も盛り込まれ、ここまでインパクトなどのあった映画から急速に緩やかになり、淡々とし始める。
個人的にはかなり退屈になり、眠くなった。
また説明不足というのが、本作の一番の欠点だとも思える。
例えば、ショーン・ペンが結婚していただとか。
また長男の性への目覚めが、母親のように思われたが実は他人だったりだとか。
難解さはピークに達しているし、また伝えたい要素がありすぎる点にも難癖つけるべきだし。
「2001年宇宙の旅」に確かに精通する部分もあるが、あっちはSF映画として面白い部分が山ほどある。が、こっちは、その要素である生物映画要素は、意外にもあそこだけになっており、映像的にもあんまり面白くないし、特に一番言えることは、この映画は、日本人が楽しめる要素全然ない!!
だって、おれ今解説したように、本作を読み解く要素って「キリスト教」と「50年代のアメリカ黄金期」とかあるじゃない?それってアメリカだから分かる面白さじゃね?それを日本人がわかるとは思えないよ。
そして完全敗北した父親は子供達に許しを乞うのだった。
そして長男は母親が大好きだったのに、思春期が来て男として父親を欲するのだった。
もしかしたらこの部分に神様と地球だとか、人間とはだとかが関連しているかもしれない。
ごめんなさい筆者はよくわかりません。
というわけで最後の第7幕。
インスピレーションを受けたショーン・ペン、つまり大きくなった長男はエレベーターに乗ると遥か未来の世界に達観するのです。
ここで良く似た筆者の知ってる作品はアメコミの「フロム・ヘル」1888年のイギリスを描いた作品で切り裂きジャックのお話だが、本作でのジャックは、政府経由でフリー・メイソンに依頼された外科医なのだが、彼は独自の視点で殺人を犯し、またそれを黒魔術的な儀式として敢行。
結果的に彼は「遥か未来の世界」を目撃してしまう。
この場合の長男であるショーン・ペンは木によって壮大なインスピレーションを受けたため、そこから未来の世界を目撃するという件になっていると筆者は推論。
だが実際の映画が描いているのは一応未来だが「地球と思われる星が死ぬ一歩手前の世界」だ。
そこにはショーン・ペンとブラッド・ピットの悩みの種であり本作の起点である。大きくなった次男が死んだことについての正確なアンサーがある。
そこには自身の若い頃も、父親も母親も多くの人々がいるのだ。
そして感謝を捧げ、喜び合い、本当の意味で皆は分かり合うのだ。
さてここでの筆者の推論と解説をしようと思う。
これは海外ドラマ「LOST」の最終回と一緒なのである。
これはロストを好きな人に申し訳ないが、島にいった人々は、過去で島が無かったパラレルワールドをつくる為、過去にいた主人公たちは、島の存在を消すために水爆を爆発させる。
だが登場人物たちがいる世界は何もかわらず、過去から現代に戻っただけだったのだ。
だが物語は同時進行である話に移る。この同時進行で違う視点の物語を描くのがロストの醍醐味だ。
その物語はなんと島が存在しなかった世界だ。だがその世界では皆は出会うこともなく不幸なままだ。
だがあるキャラクターの力により、その世界と実在の世界はリンクを初めてしまう。
だが最終回一歩手前であることがわかる。その世界はパラレルワールドではなかったのだ。
そのキャラクターの力は実は新たな能力ではなく、元来通未来のことを知る能力だったのだ。
その世界とは天国一歩手前の世界だったのだ。
キリスト教には、親しい友と共に天国に行けるという考え方があり、天国一歩手前の世界で彼は待っていたのだ。多分煉獄だと思われる。
そして結果的に彼らは島で過ごした時間こそが人生での一番の時間であったので、バラバラに死んでしまった彼らだがその世界で再会して一緒に旅立つということになる。
その煉獄的世界こそショーン・ペンが達観した世界なのだ。
そこで彼らは一番の問題であった次男との再会をする。多分だが一番の重要な時間、とりあえず映画内で過ごした期間。そうして再会喜び合い、地球の終わりと共に天国に行くというのが、筆者の推論だ。
そして映画は現代に戻り、ショーン・ペンは何事も無かったかのように、現実に帰っていく。
つまりどういうこと?
憶測だが、ショーン・ペンとブラピは死んだ弟のことが、とても気になっていて、不安だった。
死んだらどうなるんだろ?という不安、もう会えないよー。つらいよー。
という考え方を独自の視点で、キリスト教と生物学的概念を交えたり、アメリカの大人たちをリスペクトしたりしながらも、結局は天国の門の前で、そんなに大事にしているなら神様は優しいから会えるよ。お前ら頑張って信仰してるから大丈夫だよ。というテレンス・マリックのメッセージだったのかもしれない。
だがそれでもわからないことは山ほどある。終盤宙に舞っていたお母さんだとか、そもそもショーン・ペンは選ばれしものなのか?何故映画のタイトルが命の木なのか?弟はなんで死んだのか?
正直全然わからないし、ここまで書いたにも関わらずこれは全部でたらめ!!である可能性はかなり高い。
その答えはBlu-rayなどが出てテレンス・マリック自身に音声解説してもらわないと本当にわからない。
ただやっぱり言えることは、映画内で出てきたように世俗に生きるか信仰に生きるか的なことが本作の
ことで、多分「信仰に生きている人々」を描いてそれを神的にヨブ記的に現代というか50年代的に描いたようなわけで、まぁーアメリカには原理主義者というものがいますので、そっちの人に対して描いたというか。
それでも内容にはやっちゃいけない、生物の授業もやったわけで、だけどそこにも神の力は確かに存在していたと監督は訴えていて、まぁー要するにアメリカの内輪の話過ぎて、本当に面白くないして、常人が理解できない映画だったと思いますよ本当に。
じゃあ演技とか映像とかはどうだったか?
映像はとことんせめていたと思います。どこが攻めてたって?
俳優が頑張って演技しているのにそんなことよりも誰もいないとこに焦点合わせたり、名優ショーン・ペンを冒頭と最後しか使わなくて、台詞も3つぐらいしかなかったり、ブラピは50年代のアメリカ人を意識いしてかやたらあごを前に出したりしてたけど、結局信仰はある善人だけど社会で成り上がるために奮闘するけどヨブ記的にいじめられていたので、苛立って悪役な存在になってしまったていて、とことん微妙。
おいしかったのは、女神的な扱いだった新人俳優のジェシカ・チャスティン。神の偉大性を強調するような包容力や神秘性を描いたり、最終的には空まで飛んでいた。
普通の価値観で映画見たら恐竜も出てくるので、ほんとに困った映画です。日本人は宗教ほとんどないもんね。一部をのぞく。
あ。筆者的にはね。全部知ってて見たけど、幕構成とか考えるとそういう語り口で語っていたにも関わらず、一気に長男パートの時間が長くなってテンポが悪くなって淡々となってしまって、非常に退屈になってしまいました。もっとインパクトのある映像が頻繁にあったらもっと楽しめたのですがね。
メモ得点メモ
5
こうやって考えると映画的には色んなことを盛り込んだり映像的にも挑戦したり、常識を越えたとことん作家性に富んだ貴重な作品であることは確かですが、楽しめるのが自分のような小賢しい映画オタクしかいないことが実に終わっている映画です。とことん誰得。
普段と違う映画を見たいと思ってもこれだけはオススメできない。だって宗教ものだぜ。配給の大勝利の映画でしたね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA