「約5日崖に閉じ込められた男の壮絶な実話。」
2010年アメリカ、イギリス共同制作
監督
ダニー・ボイル
(スラムドック$ミリオネア、トレインスポッティング)
出演
ジェームズ・フランコ
(スパイダーマン3、デート&ナイト)
予告編
あらすじ
2003年4月のアメリカの西部のユタ州、仕事が終わり真夜中、アーロン(ジェームズ・フランコ)は、お気に入りの山岳地帯のブルー・ジョン・キャニオンに出かけるのだった。
翌朝、更にお気に入りの岩山に向かう彼は、道中で迷子の女性登山者に出会う、親切に道案内をしたアーロンは彼女に特別な場所を教えてあげ、楽しいひと時を過ごした。
彼女達と別れたアーロンはお気に入りの場所を目指した、だが彼は断層の隙間を渡っている最中にうっかり体重を乗せた石が下に落ちてしまい、自身もその隙間に落下してしまう。
そして彼の右手はその石に挟まれてしまうのであった。
登山者としての知識が豊富な彼はすぐさま自身の状況を認識、自分の命の終わりを悟りながらも、万能ナイフで右手を挟まった石を削るのだった。
2011年7月18日鑑賞
感想
スラムドック$ミリオネアでアカデミー賞を獲得して大物監督として違わぬ評価をかくとくした、ダニー・ボイルの最新作は、孤立無援の断崖絶壁の間に挟まれた男の生還劇という、実際のお話を映画化。
出演は、映画馬鹿として謎の地位を確立し始めている、ジェームズ・フランコだ。
概要として本作は、アメリカでの上映で、終盤失神がした人が多くいるという違った一面としても話題性がある作品でもある。
さて、そういうわけで感想ですが、正直あんまり面白くは無かった。
内容はだいたい知っていたからか、内容の驚きは無かったのは仕方が無いとしても、個人的には、「ダニー・ボイル結構卑怯だったんじゃないか?」ということ。
本作は正直言えば、実に単調な映画になるはずだったと思う。
一人の男が閉じ込められてしまい、そこでもがきあがくという近年では「リミット」と同じようなタイプの映画であるはずだったのだが、そこを正当に描くことはせず、閉じ込められた男の空想を描くことによって、映画の奥行きを広げた、ちょっとした禁じ手を使った映画だった。
むしろそこが好評されているんだけどね。(苦笑)
それが一部だったらまだ良かったと思うのだけどね、もう閉じ込められてからの6割がそれに頼っているのには喜べなかったし、挙げ句に、一度外に出てしまうという展開は、少しやり過ぎでもあると思う。
生きるための活力としての想像力とはあるものの、それをダニー・ボイルのセンスで面白おかしく描いているのが、何とも言えないバランスを作っていた。そこで映画で遊んでいることと、彼が閉じ込められていることは正直言えば、厳密には無関係でもあると思うし、むしろその所為で映画自体の話が進んでいないということも筆者的には物足りない要因だとも思う。
確かに映像はスタイリッシュだったと思う。でも別にそれが本当に本作において必要だったかは、疑問が感じられる。
むしろ、スラムドック以降の彼の作品として、感じると彼は変わってしまったとも思える程だったと思う。
部分的に思う事を書いてみよう。
タイトルバックが最高だった。
これには甚く感動した。
これだけでも金を払う価値がある。
この映画のタイトルが出るのは、彼が石に挟まれてからだ。ここからが彼の人生が終わり、そして始まるということだ。
それまでは、この映画の下準備であるわけだ。
その下準備での、映像はまさに逸脱だ。とても奥行きがあったり、パワフルで、ダイナミックで荒々しく、それでいてスタイリッシュで生き生きとしている。
最高の映像が拝める。
あの斜めで全体を映したりするのは、格好が良過ぎる。
それも踏まえてのタイトルコールになるわけで、とことん最高だ。今までで「プレデターズ」に並ぶ興奮出来るオープニングになっている。
だがそのダイナミックさを一転する事無く、岩に挟まれている最中も多用した点は、個人的にはマイナスだ。
個人的には、むしろその強弱があった方が、面白みが増したんじゃないかと思う。
外の世界では、最高に激しく、囚われた場所では、とことん静かに陰湿に。むしろホラー映画になってしまってもかまわなかった。
だが監督はそこをあえてヒューマンにすることに拘ったようで、むしろそのふくれあがった監督の権威によって、王道的なホラー要素を払拭させ、邪道的に幻想を描いたり、魂を外の世界に飛ばしたりするのは、見ている側を肩すかしにさせてしまう要素があると思うし、筆者的には、監督のミスだと思いたい。
確かに、何も無い岩山に、いつの間にか、家族があったり希望があったりするのは、面白い。
だがそれがスリラー映画としては、全くもっての滑り具合、むしろスリラー要素無視のヒューマンだったら、まだ有りかもしれないが、スリラー要素だって最高潮だったりするんだから本当に困った。
独立的に指摘するとするなら、インサートショットの多用も話題にするべきだ。
本作の重要な要素を監督は露骨にアピールしている。
それは「手」だ。
おもむろに手のアップを多用して、見ている側に「手」を念頭に置かせる。または「水」だ。この映画はこの二つをやたら印象的に多用している。
「水」においては、「生きる」ということについての直接的なプロパガンダとも取れるが、わざわざCGで「水」が飲まれることへピックアップしているのは、かなり独特だったと思う、ダニー・ボイルらしい挑戦だと序盤は思っていたが、この「手」と「水」という概念は、観客をわざと念頭に置かせることによって、終盤の二つの要素、右手を切断することと尿を飲むという事を一気に観客を地獄に落とすことへと繋げる布石だったのだ。
とてもえぐいことをしてくれる。
これが本作の最強のスリラー要素で、またその手の切断シーンが、かなり重く扱われている、現実性を増すたみ、深く重く、筋肉の神経を一つずつ小さなナイフで切っていき、また音楽と映像も観客を切り刻もうと必死に迫ってくるのだ。
それがもう本当に地獄だ。これは失神してもおかしくない。
その時のシーンの顔は空いた口が塞がらなかったし、観客がどんな顔しているかチェックしたら、みんな「やめてー」と表情に出ていた。
そりゃあそうだ。観客がカップル多くて驚いたもんな。
細かなこと言えば、ビデオカメラを利用したシーンは、バッテリーの残量がかなり違っている。
また本作の遊び心はやり過ぎだと思う。
ジェームズ・フランコがビデオカメラでアメリカのモーニング賞を再現するシーンがある。これが本作の盛り上がり部分だと思う。
そこでジェームズ・フランコは異様な怪演を見せてくれるのだが、そこでサウンドエフェクトで笑い声がするのだ。筆者の見る視点に問題があるかもしれないが、これが違和感があった。
むしろそこは、彼が一人であることを強調するためにだだ滑りをするべきでは?
だが本作の方向性としては、「想像力」というものへの尊敬の念がある為に、全てにおいてこの「閉じ込められた男」を幻想的に捉えているのだ。
筆者的には、もっとミニマムな、生と死の狭間からの生への渇望を期待していたのだが、それをむしろ「莫大な制作費と、監督の権威によって」生への渇望になってしまったような気がして、いまいち楽しむことができなかった。
特にそれは音楽が顕著だったと思う。
センスはあるかもしれないが、調和は取れていたのだろうか?
むしろスラムドックでMIAを使ったことによって、監督の価値観はかなり変わってしまったと思う。トレインスポッティングのファンとしては、ここまでワールドワイド過ぎる価値観は少し苦手だ。
脱出後の展開は、ようやく劇映画らしくなり、一気に抑揚するのだが、それでもエピローグはなんだかいただけないとも思えた。むしろ失笑的だったとも思えたし。
正直言えば、もっとミニマムでソリッドだったらかなり良かったし、主人公が挟まれた石を感謝する展開などは実に最高だと思うし、オープニングも最高だったし、ラストも良かった。だがやっぱり正当な挟まれっぷりがなく、遊び過ぎたことにより、妙に信憑性がなったり、それなのにホラー要素格段に増したりともう、監督の歯止めが付かなかったとも取れるわけで、ジェームズ・フランコの頑張りも頑張り過ぎて、印象薄いというやっちまった感もあったりと、正直言って、全体としては微妙な映画だった。
もっと低予算だったら筆者的には楽しめたとは思う。
得点
6点
オススメはしません。特に中盤自然に脱出してしまう件がやってしまったとも思える。あれこそ制作費の多さの象徴だとも思えて楽しめなくなってしまった。
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