★この記事をまとめるとこんな感じ★
製作
2019年アメリカ映画
チャンべVSマット・デイモン
エモくて面白かった。
監督
ジェームズ・マンゴールド
・LOGAN/ローガン
・ウォーク・ザ・ライン/君につづく道
・君に逢いたくて
・ウルヴァリン: SAMURAI
キャスト
クリスチャン・ベール
・ダークナイト
・バットマン ビギンズ
・アメリカン・ハッスル
・バイス
マット・デイモン
・グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち
・オデッセイ
・ディパーテッド
・リプリー
ジョン・バーンサル
・フューリー
・ウインド・リバー
・ベイビー・ドライバー
・ザ・コンサルタント
ノア・ジュープ
・ワンダー 君は太陽
・クワイエット・プレイス
・サバービコン 仮面を被った街
あらすじ
1963年アメリカ。
アストンマーティンのレーサーだったキャロル・シェルビー(マッド・デイモン)はかつてル・マン24時間レースに優勝したことがあるレーサーだったが、心臓病にかかりレーサーとしては引退し、
シェルビー・アメリカンを設立し、ACコブラというスポーツカーを設計販売し、生計を立て、
時折レースを主催し、レーサー発掘にも貢献していた。
そのレースの常連の個人整備工場主のケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)とは古くからの腐れ縁。
純粋な車好きのケンはレーサーとしても車の整備や構造に関して高い知識とセンスを兼ね備えているが、人当たりが悪く、思ったことを何でも言ってしまう組織には向かないタイプの人間だ。
そして同時期、20世紀初頭に中流階級向けの車を発売し、莫大な財産を得たフォード・モータは、
近年車の販売数が激減し、毎年赤字を出していた。
第二次世界大戦が終わり、帰還兵たちの子供が青年になり、彼らをターゲットとするため、
スポーツカーの販売事業に乗り出そうとした彼らは、破産したイタリアの同業者のフェラーリを買収することを画策。
経営陣の若手中心人物のリー・アイアコッカ(ジョン・バーンサル)は、社長の2代目フォードにそれを提案。
彼はイタリアのフェラーリへ部下と一緒に向かい直接交渉へ。
しかしフェラーリは土壇場で、契約を破棄。
2代目フォードへの罵倒をお土産として持たされたのだった。
それを聞いたフォードは、フェラーリを潰すべく、ル・マン24時間レースでの優勝をフェラーリからもぎ取るため、多額の資材を投じて専用レースカーの開発をアイアコッカへ指示。
アイアコッカは自社のエンジンを使いスポーツカーを製作し、過去にル・マンの優勝経験のあるキャロルに白羽の矢を立てる。
キャロルは無尽蔵の財産という点でフォードの本気を感じるが、肝心のレーサーと開発者という点で、ケンの力が必要であると思い出す。
ケンに協力を仰ぐが、ケンもその話を聞き興味を持つが、フォードの企業体制、出世の為の組織運営と決断の先延ばし、権力者の御膳立ての為の非効率な指示などが、最高の車を開発することに支障が出ることをケンは懸念し、動揺にキャロルもそれを不安視するが、キャロルはアイアコッカを信頼し、ケンを説得。
キャロルはケンを協力者としてフォード側に紹介しようと公にしようとするが、
アイアコッカによりケンの組織にそぐわない経歴の為、阻止されてしまう。
失望したケンだったが、キャロルの強引な説得と最高の開発環境と元来の車馬鹿っぷりに心を動かされ、共同開発者としてテストレーサー兼エンジニアとして中心人物となる。
そしてレースカーの開発が成功し、ル・マンに挑むが、フォード側の圧力によりチームでも評判の悪いケンはレースへの不参加を指示されてしまい、そしてケンが兼ねてから懸念していたレース時の車のトラブルが発生し、ル・マンは散々な結果になってしまい。。。。
2019年11月2日東京国際映画祭にて鑑賞 2019年87本目
第32回東京国際映画祭行ってきた!
昨年の『アリー/スター誕生』『ROMA/ローマ』につづいて、
今年も東京国際映画祭に行ってきました。
本当は『アイリッシュマン』『ジョジョ・ラビット』『ミッドサマー』が見たかったけども、
チケット争奪戦の時刻を忘れていて、運良く採れたのが本作『フォードvsフェラーリ』でした。
レースもので、クリスチャン・ベールにマット・デイモンでクリスチャン・ベール激痩せ、
しかも監督がジェームズ・マンゴールド。
チャンべとは『3時10分、決断のとき』で映画を作った仲。
とても楽しみだったぜ。
また東京国際映画祭で上映する映画、その後の本公開が昔はなくてもおかしくなかったが、
近年は3ヶ月後ぐらいに公開してくれるようになったのでありがたい。
本作も来年の成人式の連休に公開が決定。
上映前のトークショー
東京国際映画祭なので、映画の前にトークショーありました。
携帯電話を封筒にしまうことを強制されて手に持つ検査や身体検査までされたので、
海外スターでもくるのかよ?ってぐらいの感じでしたが、
そんなのは一切なく、ゲイの映画ライターのよしひろまさみちさんとモータージャーナリストで字幕監修の堀江史朗さんと司会進行コトブキツカサの3人のトークショウ。
どうやらアメリカでも本公開前の映画祭先行公開という状況のため。
トロント映画祭では公開済みでよしひろまさみちさんはもう鑑賞済み。
というかもう字幕も出来上がっているわけで、本公開の2ヶ月後前には映画って字幕含めて普通にできているんだなぁー。
あとは劇場側の番組編成の問題とそれを牛耳る東宝とかそういう配給含めての問題なのだな。。。。
トークの内容につきましては、
映画を見る前の人に映画レビューを仕出すテロ行為
内容は話してないけど、
映画を普段見ていない車好きの方が多く足を運んでくれたということが前提の謎のトークショー。
事前に関係者にいっぱいチケットをばらまいたのか?と勘ぐりたくなる。
本作でのフォードという伝統ある大企業の仕事のやり辛さ、企画の通し辛さ、社内政治との戦いという、
他の映画との違う個性を映画が始まる前から紹介。
それ以外にもそれらの映画のアイデンティティーをざっくり紹介して、
面白い映画ですよ!とレビューしてくれる。
知らなくて興味なくて聞く分には興味が出るが、
興味があって鑑賞しにきた人にとって先にレビューしてくるとはなんとも不愉快。
上映前のトークショーのワードがふと頭をよぎり本編中に答え合わせのような思考に陥ったのが辛かった。
映画評論家と映画ライターの差というものか、
鑑賞体験を下げる行為はやめてくれ、
せめてざっくりとここが凄いので注目してくれ!という町山智浩さんを見習って欲しかった。。
知られざるケン・マイルズの物語
車好きには常識のル・マンでのフォードVSフェラーリでのGT40開発秘話物語として、
via GIPHY
ケン・マイルズとキャロル・シェルビーの話は有名なのかもしれないが、
日本版Wikipediaを見ても、ケン・マイルズのページは存在しておらず、
1965年のル・マンについてもケン・マイルズの名前はなく、
フォードはフェラーリに勝った。という結果しか残っていなかった
キャロル・シェルビーがGT40を開発し、
天才レーサーであり技術者であったケン・マイルズの日本でも知名度はとても低く、
ケン・マイルズの葛藤や貢献は全て闇に葬られてしまっていたのかもしれない。
それはケン・マイルズという人間がとても癖のあったからなのかもしれない、
映画のような美談ではなく、多くの人に恨まれた存在だったかもしれない、
しかしその癖のある男をクリスチャン・ベールのいつもの圧倒的な演技力で命を吹き込んだ。
めちゃくちゃエモかった
2時間30分というかなりの長丁場なわけですが、
すっごいエモい映画だった。
ケンという癖のあるキャラクターは仕事に情熱はあるが、
むしろ車馬鹿というもので、人よりも車に思いが強かった。
しかし家族をとても大事にする男で、
何か葛藤があれば家族が支えてくれる。
泣ける。
めっちゃエモーショナル。
挙句にそのケンの才能を認めて、病気でレーサーを引退したシェルビーことマット・デイモンの演技面とキャラクター面の対比がうまく、
2人のぶつかり合い信頼関係、バディ映画としてもエモい。
そんなシェルビーがケンを信じて、そして仕事を達成するために、
大企業で腐ってしまった組織に対して、社内営業をかけて、仕事を成し遂げていく姿も非常にエモーショナル。
なんせ監督がジェームズ・マンゴールドさんですから。
惜しみないマンゴールドの情念が映画を彩る。
めっちゃ泣いて笑って楽しんだ。
チャンべとの対比でわかるマット・デイモンの演技力の高さ
マット・デイモンのこと舐めていた。
というかマット・デイモンの映画ってだいたいいつもマット・デイモンの演技力を舐めて、映画館に足を運ぶと、
あっさり魅了されて彼の演じたキャラクターが大好きになって泣かされてしまうこと多い。
近年も『オデッセイ』での演技はすっごくエモかった。
そんな舐めてた俳優がすごい演技力だったがよくあるマット・デイモンですが、
今作ではチャンベの身体から入るスーパー濃い演技に対してのマット・デイモンのいつもの演技。
というかあのチャンべに怯むことのない使いみどころのないマット・デイモンの演技というか、
人間性というか、
チャンべの濃さに対してのマット・デイモンの落ち着き。
2人の人間性としての違いの明確さでマット・デイモンのシェルビーという社会適合ぶりの顕著な存在が、
見事に体現されており、マット・デイモンの演技力というものようやく理解できた。
もちろん2人とも賞レースに演技賞は絡んでほしい。
多分本命は『ジョーカー』になってしまうが、
映画としての調和という部分での俳優賞においては、この2人の演技の方が、正しい映画としての演技賞のあり方を感じた。
またチャンべとマット・デイモンに感化されてのノア・ジュープの演技も冴えており、すっごくエモくて泣かされた。
via GIPHY
車映画としての魅力もすごかった
車開発ものというむっちゃわくわくするシナリオ展開が最高でした。
その目的としてのレースでの勝利、
もちろんそこにあるのは高性能な車だけじゃない、レーサーとしてのスキル。
どこでどう走ることでその車の性能が引き出せるのか、
ペダルを踏むタイミング、エンジンの音での見極め、
そこでのレバーでのギアチェンジのタイミング、
一つ一つの音とそれを包み込むエンジンの轟音が劇場を包みこみ、
至高の映画体験にしてくれる。
この興奮は大傑作『スピード・レーサー』を彷彿し、再評価の流れを感じた。
『スピード・レーサー』もエモくてめっちゃ面白いので是非見てください。
観賞後YouTubeをあさっていたら本作の舞台裏を発見。
普通にレースしている。
事故シーンも再現し、そこを低速で車が走る。多分早回しにしているんだな。
またチャンベールもトム・クルーズばりにレースカーを運転しているし、
マット・デイモンもテスト運転している。
賞レースノミネート待ったなしか??
近年にしては白過ぎだし男の理想押し付け過ぎ。。
近年の映画としてはかなり後退的な映画であったこは批評せざる終えない。
男目線でいえば、チャンベールの奥さんがたくましいけど包容力ありまくりで、良妻感半端なくて、
すっごく魅力的に思えました。
自身も車が好きになって、レーサーばりの運転能力を劇中で披露するシーンがありますが、(そのシーンのきょとんとしたチャンべの演技がめっちゃ笑える。)
さらには、チャンベールが葛藤するたびに嫁の抱擁がチャンべを包み、キスシーン。
(そういったところから死への布石と捉えられるような天使に導かれる暗喩なのかなって思ったり)
当時としてはそういった女性に対して家庭を守るというような時代の流れがあったと思いますが、
近年の映画作品としては、metoo等を考えると酷評される原因になりそう、
男性の理想の女性像を今になって押し付けてしまっているように思える。
逆にシェルビーの女性関係が一切描かれない変なとこもあったりと、
ファミリー映画としての体裁は整ったが、女性の権利という部分での映画製作の近年のルールには除外されてしまって、
00年代風の良作映画になってしまったか?
黒人の登用がなさ過ぎる真っ白な映画
60年代のアメリカやヨーロッパが舞台でフォードという上流社会であり伝統的な企業だから黒人が排除されているのかもしれないが、
現代の映画のほとんどが有色人種を好意的に描こうとしていることもあり、
10年代前半のような作風に陥っている。
以上のことを踏まえると賞レースは絶望的かな?と思ったり、
題材的に面白いし、エモいから運が良ければ賞レース絡みそうって思ったけど、
現代社会にそぐわない内容という面では不利だなぁと感じた。
また実話にしてはちょっとエモ過ぎるのでかなり脚色されているんだろうなぁと思った。
すっごく好きな映画だったのに、音楽も古めのロック調を多様している部分がすっごく魅力的。
hisSCORE
・脚本のユニークさ濃さとテーマなど 7.8/10
・映像のアプローチ 8.4/10
・映画の美術面 8/10
・キャラクターの魅力 8.8/10
・音楽 8/10
・上映時間と個人的趣味 8.4/10
82点
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