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◯アーティスト 2012年度7本目◯

「思ったより普通の映画だったな。」

$『A Little his REDEMPTION.』映画オタクの映画批評~season Ⅶ~-アーティスト
フランス2011年フランス制作フランス

出演
ジョン・グッドマン
(赤ちゃん泥棒、スピードレーサー、エバン・オールマイティ、バートン・フィンク、ビッグ・リボウスキ)
ジェームズ・クロムウェル
(L.A.コンフィデンシャル、スパイダーマン3、サロゲート、ベイブ)
予告編

映画あらすじ映画
1927年、アメリカのハリウッド。ジョージ・ヴァレンティンはスタジオお抱えの俳優で、近年のヒット作全ては彼が出演している。
その作品のイベントに出演したジョージの人気は凄まじいもので、会場から外に出た時には多くのファンや報道陣が彼を囲んでいた。
写真撮影中の彼の下に一人の若い女性が押されて入ってきてしまう。
そこでジョージは彼女と写真に写り、それは新聞に載ってしまうのだった。
その若い女性はペピー。ペピーはハリウッドで俳優になるべくやってきたのだ。新聞の写真を利用し成り上がることにした彼女は、近所のスタジオのオーディションに参加し、見事にエキストラダンサーの役をゲット。
それからもペピーは日夜、オーディションに参加して映画に出演していく。
そして次の撮影の時、ペピーはジョージと再会、二人は踊り子と主演俳優として共演することになるのだが、ジョージはペピーとの共演にいつもと違う何かを感じてしまう。
それはペピーも同じだった。共演後ペピーはジョージの控え室に潜入する。そこで感謝のメッセージを書き残したペピーだったが、見つけたジョージのスーツに惚れ惚れしてしまい、彼との甘い関係を夢想してしまうのだが、そこにジョージもやってきてしまう。ジョージはペピーに有名な映画スターになる秘訣として鼻の近くにホクロを書いて上げるのだった。
数日後のジョージはスタジオのボス、アル(ジョン・グッドマン)に呼ばれる。それはトーキー映画の技術の紹介だった。時代はトーキーになると告げるアルだったが、ジョージはそれを一過性のものだと小馬鹿にする。
それはジョージとペピーの光と影の境界線だった。
2012年4月7日鑑賞
映画感想映画
『アーティスト』his視点での概要。
2011年の映画を対象にされた2012年に開かれたアカデミー賞で作品賞、主演男優賞、監督賞、作曲賞、衣装デザイン賞の5部門を受賞して、2011年の英語圏の映画として一番優れた映画として2011年の顔として文芸映画の中で輝かしい評価を頂き、アメリカの評論家たちも多くが絶賛し、ベスト映画としても選ばれた本作だ。
その中身は、2011年という3D映画が年間興行成績の上位を締める時代になっているに対して、映画製作の初期の技術である。サイレントという音の無い映画をこの2011年というハイテク技術が整った時代に、生み出した。
また映像も白黒にしており、本編ではBGMが流れるのみというとことん、映画初期、つまり1920年代へタイムスリップしたような感覚を味わえる、近年からの映画ファンには非常に嬉しい映画体験があなたを待っている。
また舞台は、ハリウッド。しかもサイレント映画全盛期からトーキー映画が勃興し、徐々に移り変わる転換期だ。
その時期で活躍していた映画監督といえば、先日感想を書いた『街の灯』のチャーリー・チャップリンなどが大活躍していた時代と考えられる。
主人公のジョージは、サイレント映画の大スターであるのだが、トーキーの転換時に、一過性の娯楽だ。と非難し(今で言うと3D映画を反対するような感じですね。)、スタジオのボスと折り合いが付かず、独立してしまい、結果的に大スターから浮浪者になってしまうという転落劇。
逆にヒロインとして出てくる映画俳優志望のペピーは、トーキー映画により成功をつかんでいくという、天国と地獄の構図。
しかしペピーはジョージを思い続けているという、メロドラマ映画業界の発展の舞台裏が描かれたなかなか粋な映画である。
同様の傾向を描いた映画で『雨に唄えば』と『サンセット大通り』がある。
『雨に唄えば』は、ミュージカル映画としてとても有名で、個人的にも偉大な作品だと思う。
踊りの技術や楽曲の素晴らしさもあるが、描かれた舞台が同様のサイレントからトーキーに変わるハリウッドであり。ヒロインの少女が、大物女優の声を担当することになるというわけだが、主人公の映画スターは、そのヒロインが映画界でヒットすることを望み行動を起こす。という話だったような。(笑)
大物女優の声が酷いのが印象的。
そして『サンセット大通り』は、『アーティスト』でいうジョージのようにサイレント映画の大スターがトーキーに時代が移り、映画に出る事がなくなってしまった女優が描かれる。
主人公は売れない脚本家だが、彼がうっかり立ち寄った家がその女優の家で、彼女と一緒に復帰映画の脚本を作ることになるのだが、過去の栄光にすがる女と、その狂気ぶりが印象的だし、監督のワイルダーのテクニックに驚嘆できる傑作。
実際にもジョージの様に堕落したスターたちが自殺を繰り返すのも有名な話。
今野3D映画の転換期は、トーキーへの転換のように映画を激変させるのだろうか?
まだ3年程しか経っていない現状では、何とも言えない。
しかし本作のようなサイレント映画にアカデミー賞作品賞を与えることを考えれば、アカデミー賞の会員の老人共は、やはり3Dに対して嫌悪感を抱いていることは明白。『ヒューゴの不思議な発明』も同様に映画リスペクトを描き、更に3D映画としても高度な技術を兼ねていたにも関わらず、また古い映画の一部を現代の新作に導入したことを考慮しても選抜されなかったのは、会員の抵抗とも考えられる。
また選ばれた背景としては、人づてに聞いたが、映画評論家の町山さん曰く。
アカデミー賞会員共は、中流階級もしくは上流階級なので、フランスカブレがかなり多いらしい。
知っている人も多いだろうが、本作を作ったのは、フランス人なのだ。
本来なら外国語映画賞にノミネートされてもおかしくないのだが、本作に台詞がないし舞台がアメリカなので、本選に行ったわけだ。
ていうかそれはそれで、アメリカちょっと間違っているだろうというおれの考え。
だってフランス人がハリウッド映画のサイレントとトーキーの変換期をサイレン映画を生み出すというのも何だか不思議な話。
しかも『ヒューゴの不思議な発明』では、フランスの映画界の天国と地獄を描いたのだが、ハリウッドは「フランス人よく頑張ったアカデミー賞あげるよ。おまぇすげー。」
と上から目線で贈っているようにも見えるが、いやいやお前らが頑張って作れよ。という感じ。
ハリウッドには、そのパワーが一切無いのがちょっと見えてしまっているというか、ハリウッドのネタ不足が体現されたとも考えられるような?
しかし相変わらず日本では、アカデミー賞関連の映画の公開が非常に遅いし、公開規模も微妙。
本当に日本もクソだよな。全く。
そう言えばそういった怒りは、映画本編にも関わってくる。
というわけで、以前書いた記事です。
今日はアカデミー賞の作品賞を獲った『アーティスト』見てきました。
普通なら感想は後日(約1ヶ月後)に順次昇華していくのですが、とても気になったことが多いし、注目作なので、ちょっとした文章を書きたいと思う。
趣味に走るから評論としての価値は求めないでください。
かなりネタバレ走ります。
映画のオチが配給により台無し。
まずは配給批判です。自分は配給会社が大嫌いです。その時点で映画関係の仕事なんてできないのではないかと考えていますが…。
まずは海外版の予告編をどうぞ。

これ自体がある種のサイレント映画の如く、新商品の紹介というよりは、作品の紹介を洒落た感じで表現。映画ファンとしてもこの予告編は嬉しい。
つづいて日本版の予告。

日本は映画を完全な商品と捉えているので、ナレーションが入ったり、商品の注目ポイント、例えば「アカデミー賞受賞」とかを入れるのは当然という感じ。
しかしこれにはやってはいけないと思われることをしていた。
ここからは映画のネタバレ含む。
これは筆者の憶測のオチの見解でもある。
本作のラストでヒロインであるトーキー映画の台頭に寄りスタジオの一押しになり売れっ子になったぺ
ピーは、落ち目になってダメダメなジョージと映画に出ることにする。勿論トーキー映画だ。
しかしジョージは、自信がない。これまでの彼にとっての映画と、今の映画はまるっきり別なのだ。
自分自身、音のある映画を馬鹿にし拒絶した結果、映画に全てを奪われた彼が、映画に出ることが怖かった。自分はトーキー映画でどのように音を出せば良いか。カメラの前で台詞が言えるのか?
そもそも台詞が覚えられるのか?
それをペピーは「アイデアがあるの」と強引に事を進める。
そして映画は大円団を迎える。
そのアイデアとは、タップダンスを踊るということだったのだ。
自分はどういうことかさっぱりわからなかった。
そもそもこのオチ別に良いアイデアでもないし?だからどうしたの?という。
あれ?てかそもそもこの映画でタップダンスの音が出るのは初めてじゃなかったような?
いやでもペピーとジョージが再会した瞬間はBGMはあったもののタップダンスの音は無かった?
じゃあどこで?
もしかしたらこの映画はラストで衝撃の「音」が劇場に鳴り響いたのかもしれない。
その歓喜の音に観客は涙をするのかもしれない。
しかし私は当然と思ってしまった。
それまでジョージは自ら音など発しない。正確にはトーキーの台頭で印象的に「音」が出てくるがそれ以外は、BGMオンリーだ。
もし先ほど日本版の予告編を見ていただいたなら、もう言いたいことはわかるだろう。
予告編ではペピーとジョージが再会すタップダンスのシーンで「音」があるのだ。
海外版の予告編にはない。
日本版にはあるのだ。
もし監督がその「音」を印象的にラスト使ったとしたなら、それは配給会社により台無しにされている。
しかもその予告編は絨毯爆撃の如く全ての映画の予告に入っており、この映画を楽しみにした日本人は、その所為でラストシーンで、全く感動しなかったかもしれない。
それは自分のように。
この映画は映画として価値があるだろう。(おれはまぁー普通でした。)
それを踏みにじるかのようなSE(効果音)の挿入。
最近日本の映画の配給が作品を意識せず、商品をアプローチしすぎだろう。
そういうバランスが完全に崩壊しているとは思えないだろうか?
映画終了後とても違和感を感じたのでした。
もう一つ気になったことがある。
もう一つ気になったことがありまして。
そうそう初日に見たのに、結構ガラガラでした。東京でガラガラってやばくね?
見ていて思ったけど、多分アカデミー賞受賞しなかったら絶対お客さんが入らない映画だったけど、まさかここまでとわ。
アメリカでもそこまでヒットもしていないけどさ。初日にしては隣にお客がいないというのは、東京ではありえんだろ。そんなものか?
それで気になったことなんだけど。
ツィッターとかで感想漁ったけど、ペピーについての記述がみんな物足りない。
ペピーはデビィッド・リンチの映画ばりの強欲な女です。
この前見た『ドライヴ』がクソツボだったわけですが、そこからの派生ですが、今作のペピーもなかなかの異常者だった。
いや。美談として本作が成立していて、なんともないメロドラマ(サイレント映画によりキャラクターの演技が誇張されている為に余計に)。
しかしそのヒロインの行動はとてつもなくやばい。
ペピーは登場時は俳優志望の素人、兼ジョージの大ファンなのだ。
ジョージの作品のプレミアの時にジョージにサインを貰おうとたむろっているとこで運命の出会いがある。
そこから映画のエキストラに向かい、見事に採用。
そのまま徐々に人気を把握し、スタジオの一押し新人女優へとなり、トーキー界の大スターになるのだった。
そのペピーがなかなかやばい。
女優はみんな頭がおかしいと思うが、こいつは別格、男を「おもちゃ」と表現し、出てくる度となりには違う男を持っている。
しかしジョージのことがクソ大好きなのだ。
映画的には「恩人」という扱いも正しいが、彼の楽屋に忍び込み彼の服で自慰行為寸前まで行う点はかなり注目すべきだ。(しかしジョージには妻がいる)
その後も違う男を引き連れ、おもちゃの如く夜を共にしているだろう。
しかしジョージが俳優として終わりを迎え、破産した際、彼女はジョージの私物。はたまたジョージの運転手までを抱えるのだ。
挙げ句にジョージの最後の作品(彼が監督制作)で号泣。家にまで他の男を引き連れ、感想を言いに行くという。
素晴らしい狂いっぷり。
確かに二人は微妙にすれ違っていた。
しかしペピーはいまいち踏み出さない。
結果的に彼に気づかれないように私物を買いあさり、家にそれ専用の部屋を設けているのだ。
この展開は『サンセット大通り』に近いではないか?
また彼女の屈託のない表情全てやあの笑顔の純粋さも色んな意味で怖いぞ。
そして最終的には、死に損なったジョージを自宅に引き取り、療養。
そこからジョージはペピーの異常っぷりに気づくのだが…。
もうこの映画がある種のホラーにしか思えない。
そのことについて言及している人がいなさ過ぎるのだがそれは何故だ?
曲解し過ぎか?いやこの見解も結構あてはまるだろう?
ペピーは『ドライヴ』の運転手並みのぶっとんだ人物であることを誇張しておきたい!!
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二回目を見る際はペピーの偏った愛にも注目!!
最後に憶測だけど、映画内で俳優陣が喋っていた言語は本当に英語だったのだろうか?英語字幕がいちち出てくるけど、俳優の口がフランス語のように思えたんだよな…。
そもそもフランス映画だし、もしかしたフランス語を喋っていたのかも。
まぁーおれ英語できないので、それも憶測過ぎるのだけど。
というわけです。いやもう『アーティスト』の微妙過ぎる興行成績を考えるとそんなこともどうでも良い。
てか転けたよね。それなりに。
あのリピーターキャンペーンとかやっている人とかいるのかしら?
総評で言えば、いたって普通だった。
大期待して鑑賞した本作だが、サイレント映画ということで、結構見ていられるか心配だったのだけど、すげぇー普通に見ていられたことはやはり優れていたことなかもしれない。
しかし別に感動も無かったし、普通だった。
いやもっと酷い事言えば、この程度のメロドラマに賞賛はなんか違和感。
確かにサイレント映画を現代に作ることは頑張ったと思う。
しかもフランス人なのに、ハリウッドにやってきて90年前のハリウッドを再現したことなども頑張ったと思う。
そもそも自分はサイレント映画を愛しているわけでもないし、好きな映画はアメコミ映画だしさ、この映画がサイレントとして優れているとも判断しづらいが、「サイレントだからすごい」という評価は多分的外れだと思う。だったらもっと難しいことをして感動させる映画を作った人々のや作品の方が凄い。
ある意味ではこの映画こそが一過性の娯楽とも思える。アカデミー賞を贈った事で、そこに冷ややかな笑いさえ含まれていないだろうか?
しかし誰もツコんでいなさそうだが、ペピーのストーカーぶりはやはりやばい。
純愛とも捉えることが出来そうだが、こいつは男をおもちゃとしていつも常用しているのだぞ?
さりげなく彼女こそが、当時のアメリカ映画界の狂いっぷりを体現しているのではないだろうか?
そういう側面を考えるとすげぇー面白くなってくる。(笑)
あ。犬。まじで凄いよね。あんな来てほしいとこにガチ!とはまる犬は早々いないよね。
うん。犬すごい。
終盤の車と銃声の件は見事でした。あれは技巧派だし、サイレント独特の技巧だ!!
もとはカラーを白黒に変換しているのは、自分は微妙に感じた。言語もフランス語ではないか?と感じられるし。
シャッタースピードもいじっているらしいけど、そこまで極端でもなかったので、だったら極端な方が良かったかな。
音に襲われる件も良かったかもしれないのだが、テーマがリスペクトしたチョイスで普遍的なメロドラマにしたので、そういった調整的な演出が冴えていなく思えた。
メロドラマという制約が無ければ、もっと色々映画オタク達を喜ばせる内容になったかもしれない。
結局はアカデミー賞の脚本賞にノミネートすることの無かった作品でもあるので、ストーリーは若干、比べるべきではないぐらい微妙であり。
普通の映画だったという意見も至極真っ当ではないだろうか?
メモ得点メモ
7
久しぶりに書いてみたが、結構書けたと思う。(笑)

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