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△中学生円山 2013年64本目「中学生の時のオレは妄想ばっかしてたな…。」54点△

「おれにはサイコホラー映画に見えた…。」

$『A Little his REDEMPTION.』自称映画オタクの映画感想部~season 7~-中学生円山
日の丸2013年日本映画日の丸

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感想
宮藤官九郎の劇場オリジナル映画3作目。
『少年メリケンサック』以来の4年ぶりの劇場映画だ。
まぁー宮藤官九郎と言うと、本業は脚本家のように思え、1年ごとにコンスタントにテレビドラマの脚本などがあるので、久しぶりの映画化とは、言えない。
映画は『ゼブラーマン2』以来の3年ぶりになるわけだ…。
しかし『ゼブラーマン2』は三池とのコラボと良い、どうしようもない映画だった…。
個人的にクドカンは初期の頃の脚本が結構好きで、残念なことに『あまちゃん』は見ていないが、『うぬぼれ刑事』とか結構好きで、最終回は覚えていないが、毎週見ていた。
まぁーそういうわけで、感想。
中学生って題材は、地味に難しいよね。
筆者は、コメディ映画が好きでね。特にアメリカのコメディ映画が好きなわけ。
だから、コメディ映画に対しては少なからず趣味とかがあるスペックの持ち主なの。
それを前提に読んでもらいたい。
正直中学生って題材は難しいと思った。
高校生が主役の映画こそ多いものの中学生が主役の映画っていうのは、なかなか見かけないな。
高校生というと、だいたいが初恋だとか、思春期独特の悩みでぶつかって苦しい心情だったり、人と人との距離感の取り方だったり、童貞物語だったり、思春期を爆発させたロック映画だったりと、山ほどある。
しかし、中学生となると、思春期でもない、子供でもない、より微妙な時期にあたる。
そりゃーいじめとかの問題を扱うことも可能だけども(『告白』も中学生の映画だっけ?)
またそういう意味では、俯瞰するにもし難く、まだパーソナルなものがある手前のマイノリティーのない平凡な存在だと思う。
(だからこそ本作は興行で失敗しているのだと思うけど。)
その中学生をクドカンは、妄想中学生という絶妙な選択で、映画一本を作り出したのだった。(笑)
確かに思えば、中学生は、まだ現実の厳しさを知らないまま、世界は自分を中心にまわっているような気がした。
更には、中1の時なんて、女性の下半身がどうなっているのかなんて分からなかったし、自慰行為だって、知らない奴だっていたんじゃないかな…。
その絶妙な時期の中学生をクドカンはセルフフェラをしたいと望むキャラクターを生み出した。
ただ、前提には、セックスを知っているのかが曖昧で、とりあえずなめたいという願望があり、それの為に日夜努力する少年だった。(今作では自慰シーンは一切無い。)
おっぱいよりもヌーブラで興奮するそんなギリギリの妄想最高潮の時期の少年だ。
確かに、その頃のオレはまだギリギリ大好きなガンダムを脳内で、オリジナルストーリーを生み出して、百式にフィンファンネルつけたりして、アムロとシャアで共闘していた。(笑)
更には、オリジナルのロボットの画(ゲッターロボを意識していた。)を書いたり、更には、オリジナルの戦争小説を書いて、友人たちをゲハゲハさせていた!(=⌒▽⌒=)
本当、中学生って、最高に楽しかった。
おれなんて今でもフリーターですよ。もう今年で25歳ですよ。どなたか映画系のライターとかの仕事くださいませんか?給料2000円とかでも良いんですよ。アルバイトも暇で全然シフトいれてもらえないし…。
しかも我が家がこんなに貧乏で、オレ自身が、こんなにも低スペックだったなんて、思いもよらなかった…。彼女と次なるステップに進みたくてもここまで停滞していると…。
クドカンが続編として『無職円山』やりたいとか言ってたけど、それオレのことですか?
いえ違いますよね。ごめんなさい。
というわけで、本作のメインは円山くんの妄想になるわけです。(おれは軟体しなかったよ。)
その妄想の出来が、思えば、良いんですよ。
日本映画の妄想の限界はこれだ!!
ほらミシェル・ゴンドリーとかって妄想映画よく作るじゃない。
それを和製的な低予算でやると、ヌーブラが出たり、公演で半裸で踊ったり、そういうレベルになるんです。体育館でブリッジして移動したり、そういうものなんです。
むしろそれが良い。そのアイデアが良い。日本って本当に映画に不向きな縦長コンクリートジャングルじゃないですか?それをどう乗り越えるってやっぱり、ありそうでないようなやばいことしかないじゃないですか…。はははh。
んで、うまいことに舞台を一軒家ではなくて、団地にしているのです。
そこに更なるクドカンのセンスで脚色されて、妻を団地妻にして、ありがちな韓国ドラマオタにして、そこから浮気までさせちゃうという、驚愕の展開。
その浮気相手が『息もできない』の人で、ちゃんと円山くんの妄想で「シバラマ!!」と放送禁止用語言ってくれてました!!ありがとうございます。クドカン意外と映画に詳しい。(笑)
またその団地妻を坂井真紀がやるのは、『ココリコミラクル』タイプを見て育ったオレとしては、嬉しい。
あとサブカル女子、男子向けに音楽家の遠藤賢司さんをアルツハイマー(ぽい)おじいちゃんとして起用。劇中のナレーションと劇中で音楽を披露する。おれは詳しくないのでわかりませんが、吉祥寺あたりではトレンドのようです。(え?)
父親役には、仲村トオル。劇中ではヒーローのコスプレを披露。フルーツ大好き!!
はいそれだけ。
またすげぇーヤバい役なのが草なぎ剛。
実は精神を病んでしまっている役で、正直サイコパス。そりゃー最愛の人が殺されれば、そうなるでしょ。劇中内で、事件を起こすが、それが何故か気づかれていない…。
あとは、団地ということで、色んな住民がいて、円山くんにも彼女ができたり?
な感じだが…。
映画としては、中盤までは、海外で言うところのスケッチの繰り返しでできている。あ。コントの繰り返しです。
それがまぁー冗長と言えば、冗長なんですが、地味に面白くない。いや、くすくす程度で、とんでも笑えるようなネタをクドカン自体書いていない。いや笑っても良いんだと思うんだけど、なんか笑えない。ここは個人差かな?
それで徐々に円山家がお父さん以外が、問題に直面し、クドカンらしい絶妙な世界に踏み込んで行くという形になっている。
大筋は円山くんとサイコパス下井の物語だが、サブストーリーとして初恋をする妹、大好きな韓国俳優と出会う団地妻という形。
ここで非常に気になったのが、このサブストーリーが主軸のストーリーと絡まないまま終わるのです。そのサブストーリーは、笑えはするんですけど、現実的に見ると非常に不味い状況。
妹の恋人がおじいちゃんで、妻は韓国スターと肉体関係を持ってしまっている。
それを父親と円山くんは気づかないまま映画は終わる。
ある意味では、自分ホラーだったと思うんですよ。
サイコパス下井と円山くんの関係から妄想話しがよりディテールを持って、映画らしい映画ネタを交えたものに発展していく。非常に作家性の強く、ありがちでないところが非常に面白い。
団地を舞台にして、やりたい放題なのだ。
しかし所々下井のガチサイコパスぶりが出てきて、でも自分の妄想に夢中な円山くんだったりというわけ。
サイコパス下井は、映画『スーパー!』の主人公に似ているのだが、『スーパー!』も心のバランスを壊した人間ではあるが、下井さんはガチで心が壊れた狂人なので、ちょっと違う。
しかし死に際に「正しいことがしたかっただけなんだよ!!」というのは、やはり似ている。『スーパー!』でも「でも悪いことはしちゃいけないんだ!!」と言って悪役(ガチのギャング)を殺すシーンがあるけど、絶妙に二人のニュアンスが違うのが面白い。
あ。『スーパー!』くそ面白いので是非見てください。
円山は結果的に軟体を極め、ちんこをなめることに成功。男性でありながら女性を感じるという、脅威の存在になった円山は、中学生円山へと覚醒し、脅威の軟体を終盤披露。
これこそ、クドカンクオリティーという『アベンジャーズ』もビックリなパフォーマンスを見せてくれる。この華の無い感じがとてもコメディ映画的で、それなのに強いみたいな絶妙な矛盾が気持ちいい。面白いです。クドカンクリエイターとして尊敬してます。
見所を解説し終わったので、鬱な感想を書きます。
正直ね。見終わってこんな鬱映画無いんじゃねぇか…。と思ったんですよ。
もう途中で泣きそうになりました。
この映画、コメディってことになってるけど、サイコホラーだと思うんですよ。
しかも身近な題材でこんなにもホラーなことってあるんですか?
それぐらい辛かった。
この映画、実際ハッピーエンドではなくて、アンハッピーエンドなんですよ。
特に円山家。
自分的には最終的に皆で仲良くグレープフルーツを食べてましたけど、あれって体裁にしか見えないんですよ。腹の底で皆何考えているのかわからない。
韓国映画のジョニー・トーは飯を食うシーンを絶対映画に盛り込むって言うけど、あれにはなんか飯を喰うことによってわかりあえるみたいなメタファーあると思うんです。
でもここで飯の喰い方って非常に無機質に見えました。
これはクドカンが意図した演出なのか?そうじゃないのかが問題で、多分後者だと思うけど、おれはそう思ってしまったんです。多分この考えは間違いです。飛躍論です。
普通の映画って、特にアメリカの低予算映画って、人と人がぶつかってわかりあう地味な映画が多いと思うのです。ラブコメだって結局そうじゃない?
でもこの映画は、それを避けているように見えたんですよね。
円山家は、それをせずに、描かずに、日常に戻って行くのです。
これって恐いわ。多くの人間が物事に対してお互いに議論して吸収しないまま、成長しないまま無作為に時を過ごして行く、結果的に人はわかりあえないまま、自分の人生を進んで行く。
なんか全然民主主義じゃないように見えたんですよ…。
確かに円山くんと下井はぶつかり合って、円山くんは覚醒できたと思います。
しかしその円山くんも下井がサイコパスであったことを理解しないまま、下井の死を水のように流し、日常に戻って行くのです。
それって恐いですよ。本当に。あんなに命を輝かして、人を殺してまで、正しいことをしたかったと言っていたの、団地はその後何も無かったかのように以前のままの日常に戻るのです。
恐いです。自分の生きた証なんてものはなくて、そもそも下井の子供は親無しです。
また下井が途中でいうんです。
「この団地に住んでいる人間の裏の姿なんて全然知らないだろ?」と
それって団地だけにとどまらず、全世界で言えることなんですよね。
つまり人と人はわかりあえないと。そういう風に言っているように思えたんです。
映画は、それを否定せずにその課題を扱わないまま、むしろそれが当然であるかのように進んで行き、真理の如く、映画は終わって行く。
これにオレはある種のコーエン兄弟の映画のようなカタルシスを感じましたよ。それを日本の映画監督が、日本独自の題材を用いて描いたことで私にはより一層真実味を感じましたよ。それをコメディ映画の中するのが本当にコーエン兄弟らしい。あっちは笑えるけど、こっちは一切笑えない。
ある人の感想で「考えられないなら大人になるな、中学生のままでいろ」っていうのがあって、それはこの映画に出てくる大人全員に当てはまっていて、彼らは中学生のまま大人になっていて、失格者でもあると言っていた。その結果下井は中学生の人格になっていると言っていた。結構納得してしまった。
そのブログの感想。おれより面白い感想書いてます。
うーん。クドカンの考えていることが結構本気で知りたくなるんだよな…。
そもそもこの映画、プロットだけ追うと、単純にホラー映画なんだよね。
一番かわいそうなのは、仲村トオル演じる父親。クドカン自体が父親を描くのが苦手と書かれていたけど、そのせいか、描きが少なく、何も知らない悲劇の男になっている。
中学生の妄想映画とは片付けられない。
おれが鬱になった理由。
この映画、今年一番後味悪かったです。
その理由は、ヒロインです。
ヒロインが中盤で円山と良い感じになるんです。あとちょっとで恋愛関係、いや肉体関係を持ちそうになるんです。
でもよくわかんないです。円山くんがイケメンかは、不明だし、いつも白目向いているし。
それを何故か当時の自分の心情と重ねてしまったんです。
まぁー中学生って、恋愛ってより妄想が親友だったりするじゃないですか?そりゃあイケメンには彼女はいましたし、セックスなんてタナボタみたいなもんですよ。
んでこのヒロインが途中でクラスのチャラ男と付き合っちゃうんですよ。
ワックスつけて背が高ければもてるんですよね。わかります。
まぁー別にね。恋よりも面白いものあるのが中学生です。
しかし映画のラストでは、また何も言わずに円山くんのストレッチを手伝うではありませんか?
これってあれですよね。その彼氏に処女奪われそうになって、怯えて、逃げ出して、まだ純情な少年である円山くんの側で、少女楽しみたいっていう、少年の気持ちを踏みにじる行為ですよね。
本当に許せねぇー。彼氏には乳もませて、股間触ろうとしたら拒絶して、きーーー!!この淫売が!!
でもね。円山くんは、まだ何も理解できないまま、いつもの日常に戻るんですよ。
それが本当に鬱で。
おれは思ったんですよ。中学の時、全部理解していれば、未来だって、変えられたかもしれないって。高校もちゃんと考えて行ってれば、家庭の事情とか理解していれば…。
楽しく妄想してても人生終わるんですよ。
もう本当に鬱で、映画の向こうの円山くんを救えない自分が辛かったです。
えー。多分間違った感想ですよ。
クドカンの予期しなかった感想だと思いますよ。
あー中学生って最高に楽しかったな。
メモ得点
54
クドカンらしいと言えばらしいし、らしい毒のある映画だった。
この映画を誰に勧めたいと言われたら、クドカンの世界観が単純に好きで笑いたい人限定です。
いや。おれみたいなクソ映画オタクには、ホラー過ぎてやばかったです。
現実苦し過ぎです。
うっかりベネチア映画祭とか出したら超評価高いんじゃね?
でもクドカンの作家性ってやっぱ日本の映像業界では貴重だし、真似したくても否定的になり得るからね。すごい。
あと円山くん演じたのは『11人もいる!』でニヤニヤしていた子でした。プリプリなおしりがいっぱい出てきて、とても胸躍りました。彼の体当たりな演技も素晴らしい。クドカンのえなりかずきになって下さい。
クドカンの『大人は判ってくれない』の主人公でも良いですよ。
この感想を他の人もに見せても良いと思ったらとりあえず下のバナークリックしてください。
勿論ツィッターとかで紹介しても良いんですよ。(苦笑)
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そういえば、円山が覆面を頂くあたりから、円山の妄想、もしくは映画自体が妄想(『インセプション』的なね。)という意見を見たのだけど、それは飛躍論だと思う。妄想の時は、カメラをぼかし気味にしていて、映画の終盤は、それが無かったからね。もしも妄想だとしたら、それはそれでやっぱクドカンらしいで片付けられるからすごい。

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