「この倒錯した傑作に飲み込まれた時、しばらく映画の前でひれ伏すしかなかった。そしてこの映画をあと2回映画館で見たいと思った。DVDじゃだめだ。あの世界をテレビに持ち込むなんて頭が異常だ。一回じゃこの映画が傑作だとしかわからない。きっとあと2回見ないと全貌はわからないと思う。いや何度見ても飲み込まれてしまいずっとわからないに違いない。」
2009年米
監督
チャーリー・カウフマン
脚本
チャーリー・カウフマン(エターナル・サンシャイン)
出演
フィリップ・シーモア・ホフマン(パイレーツ・ロック)
エミリー・ワトソン(レッド・ドラゴン)
story
舞台監督のケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、新作の舞台の演出に悩んでいて、体中に異変が起きていた。
運悪く洗面台に頭をぶつけ医者に行くと色んな科にたらい回しで、自分が不治の病にかかっていると思うようになる。
体の異変は変わらず、また家族中も悪く、妻は最愛の娘を連れて、出て行ってしまう。
そんな彼のもとに、一つの連絡が来る、彼が憧れていた天才だけが得られる賞を舞台の成功で得て、彼には、とてつもなく広いシアターが与えられる。
辛い生活の中彼が見いだしたもの、それは、自分自身を舞台で描くことだった。
だが何かを見失ったように、舞台は仕切りを立てられ、また舞台は壮大になり、街一つ、いやNYそのものを作り始めたのだった。
2009年11月16日鑑賞
感想
見終わった時、付近からはいびきと涙をすする音が場内に響いた。
自分はただ呆然としていた。いったいこの映画はなんだっだのか、自分の落下地点の解らなさに、困惑していた。ただこの映画は終わってしまったんだと思った。これほどまでに倒錯した映画は久しぶりに見た、その事象が表す意味の解らなさや、押し流されてしまった主人公。「良い方向性がわかったんだ。」……。
原題の意味はニューヨークを表現するという感じで、まぁー結果的にそうなる映画なんだけど、そこまでが結構遅かったり、悩ましかったり倒錯したりと、しかも恐ろしいのはそのニューヨークとは、外装に名前を付けただけであって、本編のどこにもニューヨークを作ろうという具体性は一切出てこない。うん。本当に恐ろしい映画。
タイトルとスクリーンショットのみで絶対見ようとは、思ったけど、全く違う内容で脳内にニューヨークなんてファンタジーは無かった。面白いのはこの映画の正体を主人公は自分で表す。これはラブ・ストーリーであり、人生なんだ。そう異常なまでもコメディーであり、解り合えない悲しみさえも包括した悲劇でもある。
監督は初監督のチャーリー・カウフマン。もうこの人は映画撮らないで良いと思う。この一本だけで、彼の名は永遠になれるとも思う。
そして解ったのが、エターナル・サンシャインが面白いのはミシェル・ゴンドリーだからではなく、チャーリー・カウフマンだからなのかもしれないということ、確かにミシェルの編集のやり方や映画へのアプローチは上手いけど、内容の中の独自の心の揺れ具合や人との距離の計り方、またどこかに置いてかれてしまう、人生の哀愁はカウフマンあってのものだ。音楽もまた湿っぽく。統一性の高さにはひれ伏すしかない。見終わって正直この映画がなんなのか、本当は解っていない。解ったのはこれは傑作だってこと。きっともう一度見ないと解らないけど、映画館で見ないことには、このスケールでテレビで見ることはしたく無い。無限に広がる結末を小さな箱に持ってくることはナンセンスきわまりないからだ。
得点
11点
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